子どもの性格というものは、ほんとーーーにひとりひとり違うし、特に乳児は理性が働かないというか、個性丸出し!!
どの子も見ていて楽しいですw
が、困ることもありますね。
やってほしくないことも試したくなるし、欲求のまま、本能のままに行動する。
手を焼くご両親も多いことでしょう・・・。
親になって思うんですよ。
電車の中でグズる我が子。
路上でグズる我が子。
レストランでグズる我が子。
保育士だからこそ微笑ましく眺めているだけでしたが、実際に泣き叫ぶ赤ちゃんの親になってみると焦ります。
こんな場所でうるさくしてしまってすみません。
グズる子どもを電車内に連れてきてすみません。
チビ子、やっとお姉さんっぽくなってきて、話がわかるようになってきて、赤ちゃんの時のようにどこでも構わず泣き叫ばないようになってきました。
産まれてきて2年。
長くも愛おしい2年間です。
かんしゃくはありますが、赤ちゃんの時の大変さとは別次元のものです。
この2年間、現在進行形でもありますが、見知らぬ色々な方に優しい言葉を掛けられ、励まされ、元気をたくさんもらいました。
私が恵まれていたからかはわかりませんが、暴言を言われたことはありません。
温かく見守ってくれている方が、所々にあふれています。
もしかしたら暴言を吐かれた経験がある方もいるかもしれませんが、多くの人はあたたかい目で泣き叫ぶ赤ちゃんを見て、その親にはエールを送っています。
「あー泣いているな。赤ちゃんはなくのが仕事だからな。」と、なんとなく感じていた私でしたが、子どもを持って大変さや肩身の狭さを体験してからは「ママ!パパ!がんばれ!!」と心のなかでエールを贈るようになりました。
保育士とはいえ、親の気持ちは親になってみないとわからないものですね。
色々教えてくれたチビ子に感謝です。
(あたりまえですが、ここで一段落もしていられず、きっとこれからも沢山の試練と喜びを常に生み出してくれることでしょう・・・)
そう、常に生み出してくれるといえば、次に手を焼くことは『トイレトレーニング』や『友達との関わり』などでしょうか。
我が子も、少しづつ同年代のこと接触するほど遊びの範囲が広がり、更には自我がしっかりしてきたので『友達との関わり』に手を焼く時代がやって来ましたw
なんでも思い通りになっていたのですが、遊びの範囲が広がると「私もアレやりたい」「今コレで遊んでいるのに違う子が乱入してきた」等、接触する場面を親がさりげなく回避していたのですが、そうもいかなくなるのが2才児。
「ごまかされないぞ!!」「私は◯◯がやりたいんだ!!」・・・オツムが育ってきた証拠です。
チビ子さんも最近そういう頑固な部分が強くなってきて・・・
今日はボランティアさんの読み聞かせに行ったのですが、飽きてくると部屋の端にあるソファーによじ登りゴロン。
超くつろぎモードです。
そこへ、明らかにチビ子よりか小さなベビーが興味津々に高速ハイハイでソファーへ。
そしてよじ登ったー!!
が、チビ子、無言で「登るなよ。私のソファーだ!!」と言わんばかりに、足で登るベビーの手をズズイと押すではないか!!!
コラー!!!
かーちゃん「NO!!」とすかさず止めに入りました。
チビ子にしてみたらね、「私はこうしたかった」という思いのまま行動に出ただけなので、なにもイヂワルをしようとしたわけじゃないんですよ。
善悪の区別がつかないんですね。
なにが良くて、なにが悪いか。
これを何年もかけて少しづつ学んでいくしかないんですよね。
就学前の子どもなんて特にそうです。
そう、なにが言いたかったかというと、別にチビ子は悪い子じゃないの〜ってことじゃないんです。
「子どもはみんな学んでいる途中」ってことです。
「うちの子はすぐに人の玩具を取って、本当に性格が悪い!」
違うんです。
人のものばかりを狙うのは魅力的に見えるから。
そして、「かして」のやりとりがまだ理解できないから。
「仲良く遊ばないで他人の子にすぐ手を出して、この子はなんて乱暴なの!」
違うんです。
この子だって嫌なんです。
でも、「やめて」「あとで」を言って伝えることを知らないんです。
例は色々ありますが、とにかく、まだわからないことがいっぱいなんです。
すべを知らないんです。
乳児も、幼児も、HOW TOを繰り返し教えてあげる時期であって、けなしたり、怒鳴りつける時期ではないんです。(ちなみに小学生に近づくにつれ、自分で考えたり悩んだりできるように変化していきます)
いけないことをしたら、ダメだということを教えてあげるんです。
「◯◯はいけないよ」と、真剣に。
そして、どうしたらいいかも教えてあげるんです。
「◯◯ってしようね」と、我が子の目線に合わせて。
言っていることが実践とつながって、理解するのには時間がかかります。
すぐには出来ないのは当たり前です。
「何度いったら分かるの!」ではなくて、「◯◯ってするんだよ」と何度もスタートに戻って根気よく教えてあげる。
・・・親も人間なので、カッとしちゃう時はあるんですけどね^^;
でも、心掛けるだけでも違います。
この記事を書いたのは、私が以前住んでいた土地でよく目にしていた光景をふと思い出したからなんです。
毎朝、子どもの泣き叫ぶ声と、それに対抗するかのようなかーちゃんの大きな怒鳴り声を聞いて保育園に出勤していました。
「あぁ、今日もやっているな。」と。
そういう状態になっているのには理由があるからなんでしょうけれど、今思うと、怒鳴り散らされている子どもはもちろん、親も辛かったんだろうな。
怒鳴る以外フィットする方法が見つからなかったのかもしれません。
叱ると怒るは違う。
子どもに正しい方法を教えることと感情に任せてガミガミ言うことは違います。
怒ることは親のうさばらし。
子どもを怒鳴ってストレス解消しているか、親の都合で理不尽に怒っているか、力でねじ伏せようとしていることが多いと感じます。
叱るのは、なにも大声を出さなくても出来ます。
とっさの制止には大きな声を出すことも必要だったりしますが(例えば、友達に噛み付こうと口を持っていった時など)、子どもにダメなことや正しい関わり方を伝える時は真剣に目を見て、分かるようにゆっくり伝えたほうが頭に入ってくるものです。
「なんでたたくの!叩いたらダメでしょ!お友達痛いよ!そんなことしたらお友達いなくなるんだよ!そんな意地悪なことしないで!貸してっていってから借りればいいでしょ!?何回言ったら分かるの!!」
こんな長文、子どもは理解できません。(そして、言い方によっては怖い・・・)
この長文に、子供の頭は混乱します。
「なんで?欲しかったから・・・友だちがいない?なんかいいったら??お母さん怒ってる。怒っているのは嫌だな・・・」
理解できない上に怒られたという不快感しか残らなくなってしまうかもしれません。
「お友達を叩くのはダメ。かしてっていうんだよ。」
たった2つだけです。
これを理解できるように真剣にダメなことはダメと伝える。
正しい方法を親と一緒に実践するなど、理解できるその子なりの方法で伝えてあげる。
その方が近道だと思いませんか?
(子どもの成長度合いによって、なんでダメなのか、どうした方がいいのかを伝えるだけでなく、子ども自身が考えられるように話を持っていくのもいいですよ。)
もし、子どもに怒鳴ったり手を出したりしている事があれば、今からでも遅くないです。
それが小学校上がった子どもに対しても、中学生に対しても。
こういうのは遅いなんてことはないです。
気がついたその時、心がけようとしたその時から叱り方(伝え方)を意識すれば、こどもが、自分が、家庭内が少しづつ変化してくるんじゃないでしょうか。
保育士として現場に立っていた時にとても感じました。
子どもは教えられたそのままを吸収し、無意識的に実践していると。
江戸っ子、下町風に(?)小突かれて育った子どもがいたんです。
とても純粋で心優しいガキ大将のような子でした。
が、友達にある時まで逃げられ、怖がられていたんです。
何かにつけて、無意識的に友達の頭を叩くのが原因でした。
その子は年長になってようやくそのことがいけない事だと気が付き、それ以降は友だちがとても増えたのです。
身体に染み付いているものなので、気が付くのがゆっくりでしたが・・・。
子どもはしてもらったこと、されたことをそのまま返す。
正に鏡というのを再確認しました。
子どもは親次第とはまったくもって思いませんが、影響力はとてもある存在です。
私も日々、チビ子の接し方で凹んだりすることもありますが、チビ子と一緒に人間として成熟した人間になりたいと時々ブログを書きながら改めています・・。
なんでこんなに強く言ってしまったのだろうかとか、厳しすぎたかなとか。
子育ては親育て。
私が公共の場で泣き叫んでいる赤ちゃんの声を聞いてエールを贈るのと一緒で、きっと私が悩んで凹んでいる時に誰かが「大丈夫、頑張れ!」とエールを贈ってくれていると思うと、明日からも親子ともども頑張れそうです!
思うのは自由だ!!w
すべての子育て世代のお母さん、わたしがんばるよーつД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
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